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さめなます [GBA]



さめなます。
焼いたサメの入った大根なますです(プラス柚子)。
うちでは昔からよく食卓に出てきたのですが、
サメ入りはもしかしたら、限られた地域のものかもしれません。
母方は釜石なので、そのあたりなのかなあ。

サメもいろいろ種類があって、アブラツノザメというのがいいのだと母は言います。

私はさめなますが好きなので、母に教わって作ってみたのですが、どうも母の作る味と違う。
もっと砂糖をたくさん入れるのかなーと思うのですが、
私は食べて味をみながら加減するのが苦手で、
だんだんよくわからなくなってきてしまいました。

母の味付けは目分量なので、今度実家に帰ったときに、
目の前で作ってもらって、感じをつかみたいと思います。


あー、今日が仕事納めでした。
12月に入ったら、あっというまだったなあ。
今年はあと4日しかないなんて信じられない。
年賀状もまだ手つかずです。
毎年早めにやるようにしてたんだけど、今年はなんだかおっくうになっちゃって。
こんなことなら、どこかに印刷頼んじゃえばよかったな~。
でも年賀状を買っちゃったので、なんとか、がんばろう。

2013年のトピックといえば、一人暮らしを始めたことだろうか。

「一人暮らしどうですか?」って聞かれると、答えに窮してしまうのだよね。
もうちょっと暮らしを楽しみたいと思っていたけど、
平日の帰宅が午後9時10時は当たり前という日々だったので、楽しむというところまでいかなかった。
それでもテレビのない静かな生活ができたのは、なかなかよかった。
テレビって疲れているときは、ほんと苦手で、でも家族が見ていると消してとは言えないし。
静かな生活を送っていたら逆に、テレビ、あってもいいかも、って思いはじめた。

ここにきて体調を崩してしまったのは誤算、というか予想外で、そうなって初めて、
自分の体にずいぶん負荷をかけてしまっていたんだなって思いました。
働く時間は同じでも、実家にいればいろんな家事を母がやってくれていたから、まだ楽だったんだな。
自分でもできることはやっていたつもりだったけど、家のことすべてを自分でやるのとは大違い。
となると、働く時間を減らすしかない、と決断して、かなり残業を減らしました。
さらに縮小の方向で、生活がうまくまわるようにしたいですね、来年は。


忘年オフ会 [GBA]



先週末、12月の初めの日はねこじたんさん主催の忘年オフ会でした。

久しぶりに、大勢で飲み食いして、楽しかったです。
最近は飲むなんていっても、せいぜい2、3人でだもの。
初めて会う人たちのお話を聞くのも興味深く、色々新鮮でした。

そんな会を準備して開催してくれた、ねこじたんさんにホント感謝です。


それにしても…もう12月になって、来月は来年なのですね。
やることがたくさんあるけど、もう時間がないって感じ。
それなのに、これが話に聞く「歳を取った」ってことでしょうか、
なんだか体がもう動かない感じです。
昔のようにはできないことが増えてきました。
まあ若い頃からそんなに動く体でもなかったですけど。
至近な例としてうちの母は、今の私の歳の頃には、小学生と中学生を子育てしつつ、
ばりばり働いて、定年後の祖父や祖母の面倒を見つつ、ばりばり山に登っていたというのに、
私のこの体たらくはなんなんでしょう?
時代の違い?
体力の違い?


七つ道具 [GBA]



校正(校閲)の作業のうち、三校の赤字引き合わせをするときに私が使う道具。
三校というのは…という説明をすると長くなるので省略します(^_^;)

校正=赤ペンというイメージが一般には流布していると思われますが、
赤ペン以外もよく使っています。

赤字引き合わせのときは、左側に赤字の入ったゲラ(A)、
右側に赤字の通り印刷所が直して印刷しなおしたゲラ(B)を並べて、
左右、左右と赤字の通りにちゃんと直っているかを確認します。

左手には青鉛筆、右手には赤ペンを持って、
(A)に赤い字で記入してある訂正箇所を確認したら、青鉛筆でチェック、
もし直し間違い、直しもれなどがあれば、(B)に赤ペンで訂正の指示を記入します。
これが赤字の引き合わせの基本的作業。

あと、これは一般的なやり方というわけではありませんが、
訂正の種類?によって、赤ペンの色を変えることもあります。
文字の訂正ではなくて、ルビの付け方の訂正の場合など。

ルビには肩付き、中付き、均等割りなど付け方の種類があるのですが、
その付け方を変える場合、例えば「田舎」のルビが「田」に「いな」、「舎」に「か」と付いていた場合、
「田舎」に対して均等に間隔をあけて「いなか」と付けるように指示を書きます。
これは「田舎」はこの二文字に対して「いなか」と読むのであって、
「田」には「いな」という読みはなく、「舎」に「か」という読みはないためです。

この場合、肩付きになっているルビを均等割りにするという指示を書くのに、
普通の赤字と区別して、濃いピンクのペンを使って校正記号を書いたり、「均等割りに」と書いたりします。
そしてそれを目立たせるために、青色の芯のシャープペンシルで「均等割りに」の文字を丸く囲みます。
印刷所では赤字で書かれた指示だけを直し、鉛筆で書かれたものは無視することになっているので、
直してほしい部分は赤ないし赤っぽい色で記入し、補助的な記入は青色で書くことにしています。

出版社や編集者によって多少違いはあると思いますが、赤字→直す、というのが基本です。

写真には蛍光マーカーペンも写っていますが、
これは同じ字を同じように直す箇所がたくさんある場合に使います。
たとえばあるページに出てくる「虫の触覚」という言葉をすべて「虫の触角」に直したいとき、
「覚」の字すべてにマーカーを引き、
ページの上に赤字で「このマーカーで印をつけた箇所は『角』に直してください」と指示を書きます。

さらに、なにか気になった箇所があれば、シャープペンシル(鉛筆)で、
「ここはこうでいいですか?」とか「ここはこうじゃありませんか?」とか、
著者や編集者に対する質問を書いたりします。
質問したい箇所が長い場合は、短い定規を使って線を引いて示したりも。

そして自分の書いた質問を消すとき(とてもよくある)使うのが消しゴムですが、
広い部分を消すには普通の消しゴム、狭い部分を消すにはペン型の消しゴムです。
自分でもがっくりしますが、道具の中で消しゴムを一番よく使ってる気がします。
はじめ疑問に思ったことでも、あとまで読むと疑問が解決しちゃうってこと、多いんですよね。

あとは赤字が(B)に入ったら、そのページに付箋をたて、
疑問を書いたページには別の色の付箋をたてます。
紙をたくさんめくるので、メクールという紙めくり用クリーム(丸い緑の)を使っています。

これで写っている道具の説明が全部できたかな?
使っているのは赤ペンだけじゃないのよ、という説明をさらっとするつもりが、
長くなってしまい、しかも説明は不十分ですみません。

さて、校正(校閲)に関する別の話。
『本の雑誌』の2013年9月号の特集は、
「いま校正・校閲はどうなっておるのか!」でした。
久しぶりにその『本の雑誌』の特集を読んでみて、「ギクッ」とか「ヒヤッ」とかしたのです。
以下の引用は、「校正・校閲担当者座談会」の一部です。

   井 そう。検閲だと思ってる人がいますけど、とんでもない、サポートなんですよね。
   フリーの方で時々文章の添削をしたがる人がいるんです。
   我々としては元の形をなるべく崩さないで疑問を提示しようとしているのに、
   全部こういうふうにしたほうがわかりやすいんじゃないかと書かれても、それは困る。

   関 文芸だったらなおさらそうですよね。恐れを知らない行為ですよ。

   井 若い作者だったら言葉遣いを間違いがちだから、
   これはこうなんだと指摘することもありますけど、
   その作者の美点というか、持ち味を殺さないようにするのが難しい。
   正しい言葉遣い通りに直したとしても、急にそこで文章の流れが変わっちゃったりしますから。
   その作者のいいところを世の中に出したいから作ってるのに本末転倒になってしまう。

   関 著者が自己表現してるところに踏みこんで荒らすようなことはしちゃいけない。
   控えめというのは校正者にとって非常に大切な資質ですよね。

井は井上孝夫さん(新潮社)で、関は関佳彦さん(早川書房)です。

「添削をしたがる人」って、私もそうかもしれないな。
わかりにくい文章に出合った時、1字や2字の「てにをは」の修正だけですっきりするならいいけれど、
文章自体を大きく変えないとわからないんじゃないかなーと思う場合、
こう直しては?と少し長めの文章を提案したりすることがあります。
「この文章はかくかくしかじかで、わかりにくいのではないでしょうか?」と簡単に説明できるといいのですが、
それが簡単に説明できない場合に、「たとえばこういう文章にすれば…」という提案になったりします。

文章は著者自身のものなので、決して「こういうふうに直してください」という指示をしているわけではなく、
その提案した文章から、校正者が感じた問題を理解していただければと思って書くのですが、
時にはそれが、僭越な口出しととられることもあります。
逆に、提案した文章がまるまる採用されてしまうこともあり、
それはそれで著者のオリジナリティはいいのかと、問題に感じたりもするのですが。

文芸作品の場合、どこまでが間違いで、どこからが著者による自由な表現なのかという線引きが
難しいなーと日々思いつつ仕事をしているのですが、「恐れを知らない行為」と言われると、
ついちぢこまってしまいそうになります。

「控えめというのは校正者にとって非常に大切な資質」とおっしゃっていますが、
校正・校閲に限って言えば、私は全然「控えめ」じゃないので、
もしかして向いてない…?と思わなくもありません。

でもまあ、ほかにできることもなし、悩みながらも仕事を続けています。


〈おまけ・私が見つけた誤字〉

 1.角速度ωを求め手見ましょう。

 2.カボション カボはラテン語の頭(カボ)辛き貞ます。

ウェブサイト上の文章ってWikipediaを含め、誤字脱字がホント多いですよね。
校正をしていないからでしょうけど、誤字脱字があると内容の真偽も疑わしくなります。
ブログの文章の場合は正確性を求められているわけではないと思うので、
自分でもそんなに慎重には書きませんが、お金をもらってやる仕事であれば、
できる限り信頼できる資料にあたるようにしています。

でも上の2つの文章を読んだときは、一瞬意味がわからず、
わかったら可笑しくなってしまいました(^^)


お酒 [GBA]


なかなか更新できない日々が続いています。
めまいもなかなかおさまらず…。

それでなんでお酒かっていうと、別にわけはない。
右は純米吟醸冬のさんぽという名前です。
瓶の模様は四季で変わるらしい。
そして左のお酒は料理用にどうかと買ったけど、
ちびちび飲んでしまう…。

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こんな日もありました。
テーブルの穴に瓶をさすのをやってみたかったの(^^)
私にはひとりじゃ不可能なことでした。

寒くなってきました [GBA]

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週一くらいでランチに行っている韓国料理屋さんでは、クリスマスツリーが飾られていました。

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『風立ちぬ』を見て思ったことなど [GBA]



  ……しかし人生というものは、お前がいつもそうしているように、何もかもそれに任せ切って置いた方がいいのだ。
  ……そうすればきっと、私達がそれを希おうなどとは思いも及ばなかったようなものまで、
  私達に与えられるかも知れないのだ。……  堀辰雄「風立ちぬ」より


堀辰雄の「風立ちぬ」なんて読んだことがなかったのに、それを今更読んでみたのは、
宮崎駿監督の『風立ちぬ』を見たからです。
でも、映画の背景はわかったけど、堀辰雄はあんまりぴんとこなかったなあ。

映画は零銭の設計者が主人公だというので、見る前、『紅の豚』とはどう違うのかな~と考えていました。
『紅の豚』は好きな作品で、ポルコのアジトから、ちばてつやの『紫電改のタカ』の秘密基地を連想したりして。
人生で必要な知識はすべてマンガと小説から学んだ…とすれば、
私の航空機との接点は、ちばてつや『紫電改のタカ』と笹本祐一『大西洋の亡霊 バーンストーマー』のみ。

映画を加えるなら、さらに宮崎駿『紅の豚』ということになる。
つまり、ほとんど知らないのね。

ところで映画の中でトーマス・マンの『魔の山』に言及しているシーンがあったけれど、
『魔の山』も読んだことがなかったもので、カストルプという主人公が結核にかかりサナトリウムに滞在する、
そういう話で、『風立ちぬ』の登場人物であるカストルプがそこから取られているということは、
映画を見てしばらくして知った。

さて、以下は内容に触れるので、内容を知りたくない方はパスしてくださいね。

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15㎏×10箱 [GBA]



引っ越ししたものの実家に残していた分のマンガと本を、宅配便で送りました。
写真は到着したのを開けたところ。

宅配便の配達員さんに持って行ってもらうため、
1箱15㎏強をとりあえず10箱、実家の2階から1階に下ろしたら、腿と腰にきました。
翌日は完全に筋肉痛プラス飲んだ後、体を冷やすとなる神経痛みたいに痛い~。
ちょっとの段差も下ると腿が痛い~。

今度から、箱詰めは1階でやることにしよう。
(そんなの常識?)
(まだマンガと本とその他、残ってるんです…)


祥月命日 [GBA]



飽き飽きしていた残暑も終わって、朝晩の涼しい空気がとても嬉しいこのごろです。

9月26日は、父の祥月命日です。
葬儀はしたけれどお坊さんは呼ばなかったし、
1周忌、3回忌というようなこともしていないので、
父が死んでから何年経つのかわかっていなかったのですが、
調べてみたら2010年のことで、3年経っていました。
3年も数えられないのはおかしいかもしれないけれど、
あれから色々なことがあったし、まあ、毎日を生きるのに精一杯だったと言いましょうか…

3年かぁ…
たしかにそのくらいの時間が経ったという感じはするかな。

今でも父のことを話すと泣いてしまいそうになります。
会えなくて寂しいし、話したいことも、してあげたいこともあるのにな。
とはいえ、あまり寂しがっていると自分の人生まで寂しいものになってしまいそうなので、
父のことは考えすぎないように気をつけています。

ただ、他の人の参考になるかもしれないから、記録しておこうと思うことがあって、
父の死にまつわる記事をいくつか書こうと思っています。
悲しい記事は読むのがつらい人もいるだろうから、別ブログに。

今回載せた写真は、塀の上を散歩(?)するはなちゃんと父です。
私が近年写真を撮るようになったので、父の写真はけっこうあります。
でも本当に残念なことに、父と私が一緒に写っている最近の写真はまったくないのです。
最新ので、15年くらい前のものかも。
それというのも、写真を撮る趣味があるのが、父と私だけだったからなのですが。
こんなことを残念がるなんて、私は感傷的すぎるのか。
そうねえ、大人になってからの写真は、母や弟と写っているものもないしなあ。

子どもの頃は、何年かおきに写真屋さんで家族写真を撮っていました。
父の主導だったに違いないのですが、
今になって、あれはなかなかいい習慣だったと思うのです。


猫ってやつは [GBA]

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母がなにか熱心に書き物をしていると、はなちゃんがやってきて真ん前に座り込みました。
猫ってやつは…自分が注目されていないと気に入らないのですよね。
かといって、かまいすぎると嫌がって逃げていくし。


ところで、自分の憂鬱な風邪の話。

記録を振り返ってみますと、遅くとも7月24日には、
私は風邪を引いてしまっていたことが確認できました。
そして8月24日現在、まだ治っていません。
あ~あ、もうひと月も経っちゃったのかあ。

病院では気管支炎?喘息?とか言われたけど、ほんとのところどうなのかよくわからず。
総合感冒薬、去痰薬、咳止め、気管支拡張剤、吸入薬など処方されましたが、
すっきり治るところまでは到達できずにいます。

これがここ近年のパターンと言えなくもありません。
風邪のほかの症状はたいしたことないのに、ひとたび咳が出てしまうとなかなか止まらず、
こじらすとこの咳がなかなか消えてくれないのです。

今までにいくつかの病院で相談してみましたが、
喘息ではないらしいものの、咳止め薬、トローチ、のど飴、吸入薬など、効いたことがない。
やっぱりこれは現代社会につきものの、仕事上のストレスってやつが原因じゃないかなー。

もちろんきっかけは風邪なんだけどね。
でも学生の頃はこういう咳に悩まされたことはなかったはず。
しかし今後も働いていきたいわけで、となると根本的に心身を強くしなければと思うのです。

今は「やさしい鍼」というものにちょっと興味があります。

とにかく体の調子がよくならないと、仕事もがんばれないし、
せっかくの休日も遊べないし、つまらないよー。

なにか前向きなことを書いて終わらせたいけど、気分は灰色です。

せめて涼しくなればねえ。

ここ何日か雨が降ったりして、少し様子が変わってきたようでもありますが、
まだ行き合いの空という感じではないですね。

まあ、はなちゃんでもかまって、しばらくやり過ごすとしましょう。

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この顔、この右手。
なんか生意気だなー。


懐かしのFZR [GBA]

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友だちから懐かしい写真をもらったので、ブログにアップしようと思ったのを忘れていました。

昔乗ってたバイクですが、昔ってどのくらい昔だったかな~。

免許証を見る…バイクの免許を取ったのが平成2年…1990年ということは、
FZRに乗っていたのは翌年、1991年頃だったかも。
22年前か。

かなり昔のことだな。

このバイクは買って少ししてから盗まれちゃって、
ずっと見つからないあいだもローンを払っていて、
約1年後に公園に放置されていたのが見つかって、
川越警察署に移動されてたのを受け取りに行ったらボロボロで、
そこから遠いバイク屋さんまで引いてったっけなあ。

当時はまわりでバイクに乗るのが流行っていたので、
影響されて免許を取ったものの、バイク乗りっぽいことは全然しなかった。
ただ、こんな私でもオートバイの免許が取れたってことが自信になって、
それはあの時の自分にはかなり大事なことだったな。

なにしろもともと自分に自信がなくて、
そこからさらになけなしの自信もなくしかけてたから。
こうして書いてみると、いかにも若い、若かったわ~。

このバイクは結局、修理して少しは乗ったものの、
ほどなく友だちの友だちに譲ってしまった。

それにしても、なぜレプリカ?
あとから、SRXみたいなのがよかったんじゃないかな~と思ったのですが、
レプリカを選んだのはレプリカ志向の友だちの薦めがあったからだけど、
私は…エンジンがむき出しなのが怖かったのです…恥ずかしい理由だ…
そんな人がなぜバイクになど乗ろうとしたのかしらね?
不思議だわ。

だいたいさ、免許を取って最初に乗ったバイクはRZ250Rというやつだったのです。
友だちが乗らずにほってあるバイクを1万円で譲ってくれるっていうから、
どんなバイクかも知らないで、軽トラで取りに行った。
あとから考えると、なぜ2スト???
それに、あのバイクはスタンドが固くって、足がつかなくて大変だった。

RZの方が、色々思い出があるなあ。
たぶんFZRより長く乗っていたんだろう。
RZの写真が出てきたら、もう一度RZの記事を書こうかな。

ところで、RZ250Rって、「アールゼット」って言って正しいのでしょうか?
うしろのRもつけて、「アールゼットアール」って呼ぶものなのでしょうか?
FZRはFZR250Rだったとしても「エフゼットアールアール」とは言わない気がするが、
RZの場合はうしろのRをつけるような気がなんとなくするのです。
そんなこともわからないで、乗ってたんだよなあ…。


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