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『風立ちぬ』を見て思ったことなど [GBA]



  ……しかし人生というものは、お前がいつもそうしているように、何もかもそれに任せ切って置いた方がいいのだ。
  ……そうすればきっと、私達がそれを希おうなどとは思いも及ばなかったようなものまで、
  私達に与えられるかも知れないのだ。……  堀辰雄「風立ちぬ」より


堀辰雄の「風立ちぬ」なんて読んだことがなかったのに、それを今更読んでみたのは、
宮崎駿監督の『風立ちぬ』を見たからです。
でも、映画の背景はわかったけど、堀辰雄はあんまりぴんとこなかったなあ。

映画は零銭の設計者が主人公だというので、見る前、『紅の豚』とはどう違うのかな~と考えていました。
『紅の豚』は好きな作品で、ポルコのアジトから、ちばてつやの『紫電改のタカ』の秘密基地を連想したりして。
人生で必要な知識はすべてマンガと小説から学んだ…とすれば、
私の航空機との接点は、ちばてつや『紫電改のタカ』と笹本祐一『大西洋の亡霊 バーンストーマー』のみ。

映画を加えるなら、さらに宮崎駿『紅の豚』ということになる。
つまり、ほとんど知らないのね。

ところで映画の中でトーマス・マンの『魔の山』に言及しているシーンがあったけれど、
『魔の山』も読んだことがなかったもので、カストルプという主人公が結核にかかりサナトリウムに滞在する、
そういう話で、『風立ちぬ』の登場人物であるカストルプがそこから取られているということは、
映画を見てしばらくして知った。

さて、以下は内容に触れるので、内容を知りたくない方はパスしてくださいね。

この映画で、関東大震災が描かれたことに驚いた。
アニメ映画であっても、地震は恐ろしかった。
地震によって起こった火事で町が燃えたあとのシーンでは、
阪神・淡路大震災のあと神戸で見た焼け跡を思い出した。

パンフレットには、劇中での堀越二郎、現実の堀越二郎、歴史上のできごとなどが
書かれた年表が載っていて、そもそも関東大震災がいつのことだったかを確かめた。
堀越二郎は零戦の設計をした人だけれど、関東大震災はずっと昔のことのように思われて、
震災時、二郎は生まれていたのだろうか?という疑問をもったからだ。
でもそれは単に、私が日本の歴史をちゃんと勉強しなかったための勘違いで、
関東大震災は1923年(大正12)のことで二郎20歳、太平洋戦争が始まったのが1941年(昭和16)、
地震で東京の町が破壊されてから18年で他国と戦争するまでになったのだ。
(戦争する力をつけたということを喜ばしいとは思わないが)

宮崎駿は地震の恐ろしさとだけでなく、地震で破壊された町でも、日本人には復興させる力があると、
それを描いている気がした。
とはいえ、18年は長い。
過ぎ去った歴史の18年を振り返るのはあっというまだが、生まれた子どもが成人しようという年月だ。
容易ではなかったろうと思うのに、その年月で築き上げたものを、
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲でまた失うことになる。
(亡くなった父は東京大空襲に遭っている。そういえば、今日は誕生日だ)

それから68年。
歴史は繰り返すといっても、繰り返したくないことは再び起こらないようにしたいと思った。

零戦の設計者が主人公だけれど、零戦自体は最後まで出てこなかった。
最後、カプローニに対して、(自分の設計した零戦は)一機も帰ってきませんでした、
そう二郎が言うのを聞いて、涙が出そうになった。
零戦は優秀な戦闘機だったのかもしれないが、操縦士を生きて帰すことがなかった。
そういうものを設計したことについての二郎の思いが、表現されたセリフだったと思う。

パンフレットに載っていた宮崎監督の企画書の文章を以下に引用する。

  私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、
  ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。
  ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。
  本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。

  自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、
  その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。
  美に傾く代償は少くない。

「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ」二郎の生き方にすがすがしさを感じた。
自分の好きなことに熱中することの楽しさ、幸福を味わった。
映画を見ていて飽きることはなく、気がついたら終わっていた。

結核に侵された菜穂子は、二郎と結婚して短い期間一緒に過ごすが、サナトリウムへ帰っていく。
それはどういう心境だったのか、美しいところだけ見せていった、なんてものじゃないと思うのだが、
菜穂子の気持ちはどうにもわからなかったな。

最後に。
子どもが楽しめるような映画ではなかったかもしれないが、またじっくり見てみたい映画。
名監督なのだもの、こういう映画を作ってくれてよかった。


追記

東京の復興が早かったとしたら、それは首都だったということが大きいのではないだろうか。


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キタノオドリコ

監督最後ということで私も見ましたが・・・感想は、んー・・・というか、ん?かな。
そう、気づいたら終わっていた。
また見る機会があれば、違った観想になる、とも思いました。
by キタノオドリコ (2013-10-21 06:38) 

タックン

こんばんは。
さすがはてみさんの映画評ですね。
時代背景や登場人物の意味など
これを読ませていただいて あぁそういうことかと思いました。
>宮崎駿は地震の恐ろしさとだけでなく、地震で破壊された町でも、日本人には復興させる力があると、それを描いている気がした。
そうなのですね。
宮崎監督がこの映画に込めたメッセージのひとつだったのですね。

すがしさを感じた映画 私も同感です。
by タックン (2013-10-21 21:50) 

albireo

僕は、いつもの通り、DVDが出たら観ます。
今日、書店で雑誌を探していたら、「Cut」と言う雑誌の11月号に「宮崎駿は私たちに何を残してくれたのか?」と言う特集記事が載っているのが目に止まりました。メインの特集ではありませんが、18頁ほどあって、「宮崎駿語録」も載っていたので、思わず買ってしまいました。(メインの特集と表紙は「あまちゃん」の能年玲奈さん)
語録の中に「神話の捏造をまだ続けようとしている。「零戦で誇りを持とう」とかね。それに僕は頭に来てたんです。子供の頃からずーっと!」と言うのがありました。断片的な言葉ですが、それを読んで、「風立ちぬ」を観てみたいと、改めて思ったところでした。
「紫電改のタカ」を、僕はリアルタイムで読んでいましたが、今もニュースなどで、「学徒出陣」や「特攻隊」のことを見ると、「母を捨て、信子を捨て、先生になる夢も捨てて・・・」という、あのラストシーンを思い出して、切なくなります。
はてみさんは、もう読んでいるかも知れませんが、「半藤一利と宮崎駿の腰抜け愛国談義」(文春文庫)を、先週くらいからパラパラと読んでいます。対談集ですが、生い立ち・作品・戦争・・・等、とても興味深い読み物です。もし、未読でしたら、お奨めします。
by albireo (2013-10-21 22:35) 

はてみ

>キタノオドリコさん
この映画って、あー面白かったーいい映画だったーと、
単純にいえるものではありませんでしたね。
それでもいつかもう一度、見てみたいと思います。

>タックンさん
ただ思ったことを書き連ねただけで、まとまりのないものになってしまいました。
私が受け止めたものを、宮崎監督が映画にこめたのか、
それはわかりませんけど、文学もそうですよね。
作者が思いもよらないものを、読者が感じ取ることがあるという点で。
思えばすがすがしさだけでなく、苦さも十分にある映画でしたね。

>albireoさん
(ウィキペディアは鵜呑みにすべきではないというスタンスではありますが)
ウィキペディアに宮崎駿という人は戦史・兵器マニアなのだと書いてあります。
もしそうならば、反戦という立場との矛盾をどうするのだろうか?
と興味がありましたが、『風立ちぬ』がそのひとつの答えだったように思います。
『紫電改のタカ』をリアルタイムで…少年マガジンですよね。私がちばてつやの古いマンガをたくさん読んでいるのは、父が全集を持っていたからですが…。
お薦めの本、忘れないうちに読んでみたいと思います。
by はてみ (2013-10-28 23:06) 

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