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西行戻しの松公園にて [GBA]


桜に間に合いました…。

ポストイット・ファイト [GBA]



仕事のゲラです。付箋が立っているのは、お昼の時点で保留になっていた疑問箇所です。

夕方までにこの疑問すべて解決するにはどれだけのスピードでがんばればいいのだろうか?と思っていましたが、事情が変わったので夕方ではなく21:30まで仕事して、上下巻で670ページ強の厳しい闘いを終えました。

週末の駅構内はベタベタカップルが多いな…などと気づくのも、仕事が終わったからでしょうか。

今は「仕事ちゃんと終わったよね?」「たぶん大丈夫だよ。やれることはやったよ。自分を信じようよ」と自問自答しつつ、仕事が終わったことを体になじませて、不安を解消させていく、帰宅ちゅうの電車内なのです。

サブウェイ・ランチ [GBA]



「21時まで残業」生活も(土日をはさんだけど)8日目となり、
気力より先に体が悲鳴をあげだしました。
体がまいってくると、気力も萎えてきちゃいます。
今回のミステリは明日の夕方が締切なので、
明日は少しは早めに帰ろうと思ってます。
そして、ザブーンと三連休に飛び込む…。

ところで、あまりにブログの更新ができないのに業を煮やして、
スマホのソネブロ用アプリをDLしてみました。
これがその初投稿です。
写真は…今日のお昼ごはんのサブウェイのサンドイッチ、
野菜すべて多めのオーダーです、見えませんが。

せつない桜 [GBA]


いくつかの説があるようですが、啓翁桜は支那桜桃と彼岸桜を交配して作られたと言われています。もともとは3月から4月に咲くものが、促成栽培されて1月からお花屋さんの店先に並び、春の気分を感じさせてくれる花です。なのに私はこの桜を見るたび、せつない気持ちになります。

春の訪れの遅かった年の、3月の朝のことでした。その日は仕事帰りに病院へ、ある人のお見舞いに行くつもりでいたのですが、家に活けてあった啓翁桜がふと目に留まり、これを束ねて持っていこうと思いつきました。花の好きな人でしたし、まだまだソメイヨシノのつぼみも堅い頃で、桜の花を見たらきっと喜ぶと思ったのです。

でも結局私はそうしませんでした。3月とはいえまだ寒さは厳しく、一日じゅう雨という予報が出ていましたし、会社に持っていったところで夕方まで置いておける場所の当てもなく、それに一度家で活けた花を持っていくなんて失礼にあたるような気もして、ついためらってしまったのです。

病室を訪ねた私は、病人が消耗してしまうので、ただ黙って枕元で手を握っていました。そして涙を流し、洟をすすりながらその人をじっと見つめていました。「よく来たね」と言われたような気がしますが、記憶はおぼろです。

そのときまでの私は、じつは、その人の死をすでに受け入れているつもりでいました。人はいずれ死ぬのがさだめだし、それを受け入れている自分は潔いのだと、自惚れていたのです。いま思うとそれは、避けがたい死がやってくることを、事前に覚悟しておくことで、やがて来る悲しみを緩和しようとしていたのだと思います。

でも冷たい雨が、傘の柄を握る手を濡らすほど激しく降る中を帰りながら、それまでとは逆に私は「もしかして治るのかもしれない」と思いはじめました。それは「治る可能性があってほしい、治ってほしい」と初めて切実に希ったからだったのです。

次の日、その人は亡くなりました。

それ以来啓翁桜を見るたび、「あのとき持っていけばよかった」という思いが胸を去来します。激しく後悔しているとか、そんなことではないんです。その人が桜を心待ちにしていたかどうかもわからないし、持っていったこところでなにも変わらなかったかもしれない。ただ毎年花を見るごとに、持っていけば喜んでくれたに違いないのに、そうして喜ばせてあげればよかったのにと、そう思う、それだけです。それを後悔という言葉で呼びたくないんです。

10年ぶりに勇気を出して埃をかぶったその人の遺稿集を繰ってみると、桜について綴られた一文があり、思わず頬がゆるみました。一度読んだはずなのにすっかり忘れていたことでした。

今年は啓翁桜を持って、早めにお墓参りに行くつもりです。そうすることできっと、新しい一歩が踏みだせる気がするのです。でも、このせつない気持ちはこのまま忘れません。


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